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2020/11/05 16:41

テイオーの牡系を辿る旅 :14代父 The Flying Dutchman

 The Flying Dutchman は1846年、英国産。生涯成績は16戦15勝。
3歳時にダービーとセントレジャーを制して二冠に輝いている。
 だが、彼の戦歴におけるハイライトは5歳時に実現した、1歳下の同じく
二冠馬 Voltigeur とのマッチレースに他ならない。Voltigeur は牝系の
時に一度触れている。

 デビューから破竹の14連勝を飾った The Flying Dutchman であったが、
4歳最後のレース(一説にはここを勝って引退の予定だったという)に選んだ
ドンカスターCで、まさかの敗戦を喫してしまった。その相手が Voltigeur
である。無敗の二冠馬同士の2頭立てという、正真正銘のマッチレースだ。
 この時の敗戦の理由として、マーロウ騎手の飲酒が定説になっている。
泥酔状態で騎乗し、異常なハイペースを刻んだせいだと言う。その一方で
ほろ酔い程度だったという話もあり、本馬の過敏なイレ込みによる暴走を
主因に挙げる向きもある。
 いずれにせよ、陣営としてはこのまま終わらせるわけにはいかない。すぐ
さま再戦を申し込み、受け入れられた。

 そして翌1851年5月13日、ヨークのオールドコース3200mにて
「世紀のマッチレース」が行われた。この時は準備万端のThe Flying Dutchman
が勝利し、前走の雪辱を果たした。
 両者の直接対決は1勝1敗であったが、The Flying Dutchman は晴れて引退を
飾り、一方の Voltigeur はこのあと不調に陥った。今では両者の実力に関する
評価は決着がついている。

 最後に馬名にまつわる話を。「Flying Dutchman」というのは「さまよえる
オランダ人」という幽霊船伝説である。この伝説を元にしたワーグナーの
オペラが1843年に初演を迎えている。The Flying Dutchman 誕生の3年
前の事だった。
 そして、この名は著名人のニックネームにもよく使われている。最も有名
なのは、サッカー界のスーパースター、ヨハン・クライフだろう。彼の場合は
「空飛ぶオランダ人」と直訳されている。その由来は、W杯での華麗なオーバー
ヘッドシュートだという好意的な説と、同大会決勝でのPKをアピールする
あからさまなダイブ(今は逆にイエローをもらってしまう)というアンチ的な
説の両方がある。

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