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2020/09/02 13:59

テイオーの牡系を辿る旅 :2代父 パーソロン

 パーソロンは1960年、愛国産。これまでにパーソロン自身と
メジロ・シンボリ系譜については述べているので、今回は母父
Pharis に関する内容で。

 Pharis はフランスの大手馬産家ブサックの所有馬で、現役成績は
僅かに3戦3勝。いずれも不利を受けながらも計ったように2馬身
半差で圧勝し、寡戦にも拘らずフランス歴代最強馬の呼び声が高い。

 しかし、生まれた時代が悪かった。1939年9月にドイツが
ポーランドに侵攻し、欧州では東部戦線の火蓋が切られた。第二次
世界大戦の勃発である。競馬も思うように開催出来ず、走る場を
失った Pharis は種牡馬に転身したが、更なる不幸に襲われる。
 翌1940年5月、西部戦線に転じたドイツ機甲師団は、ベネル
クス三国に続いてフランスをも蹂躙する。フランス軍は装備と組織の
近代化に遅れ、彼我の戦力差は歴然だった。
 ドイツの電撃戦があまりに凄まじかったために、ブサックは
ノルマンディーにあった牧場の所有馬を疎開させようとしたものの
全馬は間に合わず、Pharis はドイツ陸軍に接収され、ドイツ本国の
国営牧場に移された。

 以後、大戦終結までドイツで種付けを行ったが、産駒の中には
軍馬に転用されて戦死したり、行方不明になったケースが少なくない。
 ようやく1944年6月、連合軍がノルマンディーに上陸し、
反攻が開始された。翌1945年5月にドイツが降伏し、戦火を
免れたPharis は再び生まれ故郷の地に戻ることが出来た。余談だが、
ブサックがドイツ時代の産駒の血統証明に応えることは無かったという。
 もし戦争が無ければ Pharis は競走馬として、また種牡馬として
実際以上に活躍していたに違いない。彼にとって、失われた5年は
あまりにも大きかったことだろう。

 大戦当時、日本でも馬の徴兵制度とも言える内容を含む「軍馬資源
保護法」が施行された。人間だけでなく、馬にとっても過酷な時代で
あった。

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