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2020/08/24 13:06

テイオーの牡系を辿る旅 :父 シンボリルドルフ

 シンボリルドルフは1981年、門別産。今更説明不要の名馬中の名馬だが、
今回は彼にまつわる名文句を取り上げてみよう。

『ルドルフに競馬を教えてもらった』
〜1984年ダービー、岡部騎手

 名手岡部が馬に教えてもらうなんて、ルドルフのファンや関係者への
リップサービスだろうか。いや、案外そうでもない。向こう正面での岡部は
明らかに焦っていた。ダービーポジションを取れず早めの進出を促すも、
ルドルフは反応せず。まさかの大波乱を予期させたが、直線ではあの絶望的な
手応えは何だったのかと思わせる独り舞台。そして、岡部のコメントである。
 名手と名馬のコンビ。常に人馬一体のイメージがあるが、ダービー以外にも
岡部のアクションとルドルフの動きが一致しないケースはある。互いの信頼は
あっただろうが、ここ一番という時、ルドルフは自分の競馬勘を優先していた
のかもしれない。

『競馬に絶対はないが、彼には絶対がある』
〜1985年天皇賞(秋)、野平調教師

 ルドルフの強さと安定感を表す言葉と思われているが、このコメントは
敗戦の後のものである。当時、私は「ルドルフは同じ相手に二度は負けない、
必ずやり返す」という意味に受け止めた。
 このレースの後、ルドルフが馬房で悔し涙を流したという噂が立った。
いかにも部外者の作り話臭いのだが、実際に馬房を見に行った関係者が
伝えた話だという。悔しくて泣いたかどうかは別にして、いつものレース後
とは様子が違っていたのだろう。ルドルフであればレースに負けたことを
理解していたとしても不思議ではないし、負けたことよりも、2頭挟んで
追い込んで来たギャロップダイナを見落としたことを悔やんでいたのかも
しれない。

『日本でもうやる競馬はありません』
〜1985年有馬記念、盛山アナウンサー

 天皇賞(秋)とは違って、2角で早くもギャロップダイナが先頭に立つ。
公約通り、雪辱の機会はやって来た。3角手前で猛然と並びかけ、敢えて
抜き去らずに、相手を睨み付ける様にぴったりと馬体を併せ続けた。そして、
4角を回ると嘲笑うかの如く一瞬で千切り捨てた。それまで相手のプライドを
傷つけることの無かったルドルフにしては、珍しく非情な振る舞いだった。
 彼はこれが国内最後のレースだと知っていたのだろう。ファンに自分の
本当の強さを見てもらう必要があった。だから直線で本気を出して圧勝した。
この時の強さは盛山アナの「世界のルドルフ・・・日本のミホシンザン・・・」
という実況を引き出した。そしてゴール後にあの名台詞が続いたのである。

 シンボリルドルフの凄さは成績表の着差や荒い画像の動画では伝わらない。
レースごとに適切かつ微妙に位置取りを変え、先を読んで手前変換を我慢し、
状況に応じてストライドを使い分けた。岡部は「自在性と多様性」と表現し、
ディープインパクト出現後もルドルフが最強であると主張している。

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