351件のひとこと日記があります。
2015/11/26 09:43
忘れられない静寂・・・1984、ジャパンカップ
その日私は、馬友さんと東京競馬場の4階ボックス席にいました。
1984年11月25日、第4回ジャパンカップを見にきたのです。
この日の競馬場はいつもと多少違い、華やかな雰囲気に満ちていました。
たくさんのファン達の目が、何かを期待するように輝いていました。
それは、昨年19年ぶりに誕生した3冠馬ミスターシービー、そしてつい2週間前に誕生した2年連続の3冠馬シンボリルドルフ、この2頭の対決、それにともなってこのどちらかが初めてのジャパンカップ優勝日本馬になるのでは・・・・・という期待にドキドキワクワクの思いが華やかさに一層の光を添えていた気がします。
アメリカから来たウインが、芝に出た途端返し馬を嫌って立ち往生。
数人がかりで押しても引いても頑として動かず、どうにかゲート付近まで歩かせてゲートインする事ができたというハプニングがありましたが、それでも奇麗にスタートして(多分出遅れはなかったように思います)、日本馬カツラギエースが飛び出して行きました。
それから、あれよあれよという間に後続を離す、離す。
思わず、隣の馬友さんに「あんなに離して大丈夫?」と聞いたものです。
「大丈夫、直線長いからちゃんと追いつくよ」
ところがその直線に入っても追いつかなかったのです。
あわてて後続が追いかけてきたけど、時すでに遅し。
長手綱のカツラギエースがまんまと逃げ切り、日本馬初めての優勝。
シンボリドルフが辛うじて3着に突っ込んできました。
初めての日本馬によるジャパンカップ優勝なのに、カツラギが1着でゴールした瞬間、あたり一面を襲った恐ろしい程の静寂。
誰もが唖然とし、カツラギエースって誰だ?的驚きのまなざし・・・・。
その頃、関西と関東は今の様に交流がなく、関西馬の事は殆どわからない状態でした。
あの時の静まり返ったボックス席の空気、数十年経った今でも覚えています。
何年か前、カツラギエースのお墓参りしてきました。
あの時「何でカツラギなのよ!シービーやルドルフの方が強いんだから!!」と、勝ったカツラギを憎く思ってしまった事を謝りたかったのです。
カツラギエースも本当に強いお馬だったのです。
生まれた牧場さんはもう牧場をおやめになっていましたが、お墓だけはしっかり守っていて下さいました。
ファンの人が建ててくれたというお墓。
今でも牧場のお母さんには自慢の息子、カツラギエースでした。
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エドリンさん
らすかるさん、こんばんは。
元気そうで安心しました。
心にもしっかり脂肪つけて、北海道の寒い冬乗り切りましょう!
あのJCのあの空気、今ならあり得ないでしょうが、本当に一瞬時間が止まったようでした。
いまだに頭のどこかに刻み込まれています。
考えたら、日本馬の初めての勝利の瞬間に立ち会えたのですからラッキーだったのですよね。
そんな事すら思い付かない程の衝撃的な静寂でした。 -
らすかるすずかさん
続きです。
1番人気が10着。
10番人気が1着。
「してやったりです」。
レース後のインタビュー、西浦騎手のこの一言が胸に焼き付いています。
ただ、ここで初めて土の付いたルドルフは、次の有馬記念できっちりカツラギにお返しをしましたね。
ギャロップダイナに対してもそうでしたが、皇帝の本当の物語は、このJCから始まっていたのかもしれません。
古馬になって中距離で強くなったカツラギ。
だから、本当は翌年も現役を続けて欲しかったと、今思います。
ルドルフやシービーと2回しか対戦していないのは、何とももったいない。
シービーがステートジャガーに苦杯を喫したサンケイ大阪杯や、ルドルフの回避した宝塚記念に、もし彼が出ていたら…。
どんなドラマがあったのでしょう。
エドリンさんから頂いたカツラギエースの形見は、今でも大切に保管しています。
彼が一緒にいてくれているような気がします。 -
らすかるすずかさん
こんにちは。
今日から金曜日まで、外泊の許可が出まして今自宅に戻っています。
何かとご心配お掛けしてしまいましたが、もうすぐいいお知らせができると思います。
待っててくださいね。
1984年のJCは、テレビで見ていました。
毎日王冠でシービーを撃破しながら、天皇賞では返り討ちに遭ったカツラギ。
G1馬なのに、関西馬ということもあってか、「誰それ?」という見方をされていたように思います。
アイドルはあくまでもシービー。
私だって、この日見ていたのはシービーだけでした。
日本の馬が勝てないレース。
前の年、アンバーシャダイだって外国馬に屈したのですから。
競馬を見始めて2年目、まだ10代の私でも、そう考えざるを得ませんでした。
ただ、シービーなら無様な競馬はしないだろう、そう思っていました。
1番人気が10着。
10番人気が1着。
「してやったりです」。
レース後のインタビュー、西浦騎 -
らすかるすずかさんがいいね!と言っています。
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エドリンさん
神威さん、こんにちは♪
こんなのが多くてもう慣れっこです(悔しまぎれです、はい、笑)。
パンドラちゃんは、1着固定で3連単にしようかなと考えたくらい、何故か来そうな気がしたんです。
ただ、ラブリーディを2着か3着にするかで迷って、結局2頭軸の3連
複にしてしまったんですよね。
優柔不断で小心者なんです(苦笑)。 -
神威さん
エドリンさん
こんばんはー☆
↓な、なんて惜しいっ!
ラストインパクトは僕も勝ち負け級とは思えなかった
のですが ムーア騎手の世界の腕が馬圏内に持って来る
可能性を危惧し 紐に加えました。
が・・・パンドラちゃんを頭にしていませんでした(泣)
パンドラちゃん
ゴメンなさいm(ニ_ニ)m -
エドリンさん
神威さん、こんばんは。
私の馬券は、ショウナンパンドラとラブリーディの2頭軸に日本
馬を5頭絡めた三連複でした。
でもラストインパクトまでは手が回りませんでした。 -
エドリンさん
Affirmedさん、いいね!とコメントありがとうございます。
あのJCは、一番人気がミスターシービーでした。
ルドルフの強さはまだ信頼されていなかったのかも知れません。
それに、シービーはあのごぼう抜きのレースぶりから人気も凄かったです。
その分、レース後のパッシングは厳しいものがありました。
シービーが三冠をとる為にはあの走りしかなかったのだと、故吉永ジョッキーが言っていましたけど、その通りだと私は思います。
菊花賞であんな勝ち方ができるのは彼しかいません。
ルドルフとは違ったタイプの天才だったと思います。 -
神威さん
エドリンさん
おはようございます。
カツラギエース
彼が最初のジャパンカップ制覇でしたね・・・
エース先輩
出走馬の無事 天より見守って下さい♪ -
神威さんがいいね!と言っています。