351件のひとこと日記があります。
2015/10/28 17:31
取れなかったタイトル・・・天皇賞
ダービーで骨折し幻の三冠馬となったトウカイテイオーが翌年の春、産経大阪杯から復帰し、父ルドルフの主戦ジョッキーだった岡部騎手を背にして楽勝。
そして当時最強馬と云われていたメジロマックイーンとの対決で盛り上がった天皇賞・春。
テイオーは5着と敗れ、再び剥離骨折で休養という、テイオーファンにとっては大ショックの1992年。
競走馬生命には影響ないと発表されても2度目の骨折で、元の走りが出来るのか心配だったのは私1人ではなかったでしょう。
そして秋の初戦がいきなりのG1天皇賞。
このレース、父ルドルフも休養明け初戦で「あっと驚くギャロップダイナ!(これ知ってる方は結構良いお年、笑)」の2着と負けているレース。
不安はあったけれど、やっぱりレースが始まれば1番人気。
結果はレッツゴーターキンの7着と今までで最低の順位。
ところがテイオーというお馬はこれで萎んでしまう様な並みのお馬ではなかったのです。
その年から国際G1となったジャパンカップ、デビューして以来初めての5番人気という事に奮起したのか、ナチュラリズムとの素晴らしいたたき合いの末1着でゴールを駆け抜けたのです。
親仔2代のジャパンカップ勝利。
この勝利に関係者の方もファンも感動と安堵感を味わったのですが、これ以上の大感動を翌年再び味わう事になるとはその時誰が予想したでしょう。
天皇賞馬のタイトルは取る事は出来ませんでしたが、奇跡の名馬という誇らしい称号を与えられたトウカイテイオー。
父シンボリルドルフと共にその輝きは永遠です。
画像はその秋の天皇賞出走時のものです。(その日現場にいた馬友さんから送っていただきました)
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エドリンさん
じゅんざんさん、いいね!とコメントありがとうございます。
ナイスはG1を取っても、きっと今と同じ暮らしをしていたと思います。
何故なら、渡辺牧場さんは生産馬を必ず自分の牧場に引き取る方針だからです。
その為に沢山の苦労を背負ってきました。
今やっと「渡辺牧場里親の会」が出来て、少しずつ重荷が減って来はじめていると思います。
ナイスの今の幸せは、この牧場に生まれた事から始まっていたのではないでしょうか。
ナイスとテイオー、全く異なる馬生ですが、幸せだと云う点では同じだと思えます。 -
じゅんざんさん
この天皇賞はネイチャが惨敗した天皇賞でもありますね。
ここでジーワンとらせてやりたかった気もしますが、
とってたらここまで幸せには暮らせていたかもわかりません。
テイオーは素晴らしい馬ですね。
ここまで劇的な復活を見せる馬はこの先もう現れないと思います。
それくらい歴史に残る名馬です。 -
じゅんざんさんがいいね!と言っています。
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エドリンさん
ルージュの夢さん、いいね!ありがとうございます。
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ルージュの夢さんがいいね!と言っています。
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エドリンさん
ニコちゃんさん、いいね!とコメントありがとうございます。
あの頃ワイドがあったら当たっていましたね。
まさかのレッツゴーターキンでしたが、この勝利で自分の余生を得たのですから、それはそれで良かったと思います。
イクノさんは「鉄の女」と呼ばれましたが、実物は可愛いお馬でした。
マックイーンやテイオーとのロマンス説など、楽しい話題を提供してくれましたね。
競馬に夢があった時代だったような気がします。 -
エドリンさん
しゃらさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
不思議な事に親仔2代、天皇賞・秋には縁がありませんでした。
でも、それも一つのエピソードとして微笑ましく思えます。
この父仔の存在がもう奇跡としか云えません。
父のように常にパーフェクトではなかったけれど、父以上にドラマチックに生きたテイオー。
それをリアルで見られた事は何よりも幸せなことだったと思います。 -
ニコちゃんさん
私が初めて買った馬券が、この年の天皇賞でした。
もちろん馬など分からず、名前でレッツゴーターキンとヤマニングローバルの馬連でした。
ラジオで聞いてましたが、レッツゴーターキンの優勝は嬉しかったなー。
そこで走っていたトーカイテイオーに、引退レースとなった有馬記念で感動して、競馬の世界へ。
愛してやまないテイオー。
イクノディクタスは私の理想の女性。
いろいろと競馬がわかってきた今なら、もっとあの時の競走馬の魅力が堪能できるのに、と思います。 -
ニコちゃんさんがいいね!と言っています。
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しゃらさん
エドリンさん、こんばんは♪
素敵なお写真ですね(^.^)
そうですね、天皇賞は獲れなかったんでした。
テイオーは本当にイケメンでカッコイイ!です。
あの有馬での激走と復活劇は今思い出しても鳥肌が立ちます。どれほどの勇気をもらったことでしょう♪