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351件のひとこと日記があります。

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2015/09/09 11:19

有終の美を飾って・・・・マティリアル

藤田騎手の突然の引退。
驚くと共に、これからの競馬界が偏った方向に行かなければ良いなと老婆心ながら思ったりしました。
馬も人も平均化され、個性の強い、面白い存在が少なくなってしまう様な、ちょっと寂しい気がします。

1980年代、突如として2年連続の3冠馬が現れるなど、日本経済の上昇にともない競馬界もこれまでにない程の盛り上がりを見せていた時代。
シンザンを超えた!と言われたシンボリルドルフの牧場から現れた期待馬がマティリアルでした。
先々の海外進出を見越して冠のシンボリをつけなかった程の期待を背負って産まれてきたお馬。
父パーソロン、母スィートアース、母父スピードシンボリと、シンボリ牧場の思いがつまった血統。
その彼の恐ろしいまでの潜在能力を見せたのが1987年のスプリングSでした。
直線400メートルまで12頭中の、それも3馬身程離された12番目にいたマティリアル
それがゴール寸前に先頭にいたバナレットを抜き去った、その鬼脚には思わず鳥肌がたちました。
ミスターシービーしちゃった」と後で岡部元騎手が苦笑したほどの切れでした。
ただ、彼はまだ体がしっかりしていなかったのです。
岡部元騎手が後々「出来る事ならダービーは使いたくなかった」と述懐したほど、その頃のマティリアルは体調が良くなかったようです。
18着と大敗したそのダービーでの馬体重−16キロがそれを裏付けています。
このメリーナイスが勝ったダービー、現地で見ていた私は、スプリングSの時のマティリアルとかなり印象が違う事に違和感を持った記憶があります。
輝きがまったくなかった。
馬が小さくしぼんだ様な、そんな感じがしました。
でも、馬券は彼から買ってしまった・・・・。

それから2年以上勝ち星から遠ざかり、いつしかあのスプリングSはフロックだったとまで言われてしまったマティリアル
それが1989年の京王杯オータムハンデ( 1998年まで現京成杯はこう呼ばれていました )、先頭でゴールを駆け抜けたのはマティリアルでした。
それも後方一気ではなく先行逃げ切りという勝利。
思わず岡部騎手がガッツポーズしたほどの、本当に久々の1等賞。
なのに神様は無常でした。
ゴールして100メートルほど行った所で「バキッ」と前列の観客席にも聞こえたくらいの音がして、マティリアルの脚は崩れてしまったのでした。
本来ならすぐに安楽死の状況でしたがオーナーの要請で治療することとなり、手術も成功したのですが、その痛みから来るストレスで大腸出血を起こし、マティリアルの苦しみは安楽死処置まで続いたそうです。
いろんな事が言われています。
オーナーがレース後に自分の牧場に連れて帰る、そのストレスが彼の馬体の回復を遅らせた。
周りの過度な期待で急ぎ過ぎたことがその能力をつぶしてしまった・・・・etc
何が事実なのかは誰にもわかりません。
わかったところで彼は戻ってきませんし。

あの凄まじい豪脚でみんなを驚かせたマティリアルでしたが、そのレースの残像に振り回され続けた日々だった気がします。
それを全く別の形で勝利し、彼は自分の馬生を締めくくったと考えるのはおかしいでしょうか?

1984年代は悲劇の時代といわれています。
その中でも1番の悲劇と言われるマティリアルですが、私は、彼はきちんと有終の美を飾れたのだから不幸ではなかったと思うのです。

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  • SAKU☆39☆さん

    あの豪脚はすごいですね!
    パーソロン×スピードシンボリ

    ルドルフと同じ配合ですね!
    名脇役だったと思います

    2015/09/09 13:06 ブロック

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