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2015/06/16 12:33
“黄金の馬” ハギノカムイオー
まだ私がそれほど競馬や馬に関心のなかった1979年、1頭の牡馬の誕生が競馬界の注目を浴びました。
父テスコボーイ、母イットー。
半姉にハギノトップレディを持つこの牡馬は、誕生した瞬間から“ 華麗なる一族 ”の王子として、走って当然という看板を背負わされていたのでした。
テスコボーイの仔はセリに出さなくてはならない約束事があったため、この牡馬も1979年のセリに登場しました。
そこでついた値段が、当時の史上最高額 1億8千5百万。
マスコミは“ 黄金の馬 ”と大騒ぎし、その牡馬にはさらに重い負荷が加わったのでした。
1982年に「ハギノカムイオー」と名付けられ競走馬デビューするとトントンと3連勝。
クラシックへの期待にまたまた話題沸騰。
ところが、カムイオーにはクラシックの冠は縁がなかったようで、皐月賞惨敗、ダービートライアルのNHK杯も惨敗と、陣営はダービー出走を見合わせます。
神戸、京都新聞杯をきっちり制して、菊花賞こそ!と思ったもののそれも惨敗。
そして、スワンステークス、宝塚記念、高松宮杯と連勝した後、カムイオーの輝く日々はフェイドアウトしていきます。
特に1983年の宝塚記念は日本レコードという素晴らしいレースで、さすが黄金の馬!と称賛されたのでした。
彼のレースには2頭の絶対的脇役がいます。
スプリングステークスで、八百長じゃないかといわれたサルノキング。
NHK杯と菊花賞で、カムイオーの天敵といわれたゲイルスポート。
サルノキングはスプリングSで骨折し引退、種牡馬になったもののパッとせず使途不明。
カムイオーを封じ込める大逃げで玉砕したゲイルスポートは、菊花賞後低迷し、やはり使途不明。
彼をリアルタイムで見ていない私には、彼が強かったのか話題先行の馬だったのかわかりません。
ただ、もの心ついた時からいつでも人に期待され、カメラを向けられ・・・そんな周りの大騒ぎに、カムイオー自身はどんな思いでいたのでしょう。
仲良しだったフジノマッケンオーの後を追うように亡くなった、その1年前に彼に会う事が出来ました(その時33歳)。
“黄金の馬”ならぬ“黄金のお爺ちゃん”になっていたカムイオー翁。
そこには全てを達観して、穏やかに無欲に生きる1頭の馬が存在していました。
彼もまたある意味、人間の欲に振り回されたお馬だったのかも知れません。
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エドリンさん
馬の気持ちさん、いいね!とコメントありがとうで〜す。
34才ですから、大往生でしょう。
余生を過ごした牧場さんでは、もう大事に大切に扱われていました。
牧場長さんが、カムイオーの話をする時の誇らしげな表情が物語っていました。 -
ディランバグさんがいいね!と言っています。
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ディランバグさん
こんにちは。
当時で1億8千5百万円は かなり高値ですね。馬も、そういった馬に携わる厩舎関係者や背に跨がる騎手は相当なプレッシャーだったでしょうね。高値で競り落とされた馬の宿命、話題先行になってしまいがちですが宝塚記念を勝ったのだから素晴らしいと思います。
プレッシャーのない引退後の生活を長く生きられて本当に良かったと思います。(*^^*) -
馬の気持ちさん
カムイオー翁 34歳 !長寿だったんですね。 余生は 幸せだったんですよね、、?
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SAKU☆39☆さん
素晴らしい一族ですよね。
俺もリアルタイムでは見てないけど
一族からダイイチルビーも出てるし。
少し前にグリーンチャンネルでハギノカムイオーの事を放送してました。
かなり長生きしたみたいですね! -
馬の気持ちさんがいいね!と言っています。