351件のひとこと日記があります。
2015/05/22 10:34
女旅芸人・ヤマノシラギク
顔の真ん中を流れる太い流星。
それが、歌舞伎役者の白塗りを連想され、付いた呼び名が 「女旅芸人」 または 「女渡世人」。
何とも風流なニックネームです。
そう呼ばれたお馬は、430キロそこそこの小さな体で、1981年から85年までに、牝馬で、全国10か所の競馬場を走り抜けた全場制覇の記録保持馬なのです。( アラタマワンダーも同記録保持馬ですが、牡馬です)
1979年に父オーバーサーブと母ホンマルクインとの間に誕生した牝馬は、ヤマノシラギクと名付けられ1981年札幌競馬場でデビューしました。
故障の為桜花賞は回避、オークスも良いとこなしと3才時は残念な結果で終わりました。
古馬になってからは華やかな舞台に背を向けるかのように、小倉、新潟、中京とローカル路線の旅が続きました。
そしてついに京都大賞典を勝利しました。
それでも続く旅回り。
いつしかシラギクの白面はファンの人たちの心をガッチリ掴み、彼女を見に競馬場に足を運ぶ人もいたとか。
札幌、函館、新潟、福島、中山、東京、中京、京都、阪神、小倉、シラギクは9場で掲示板にのっていますが、唯一中山競馬場だけは外しています。
そしてまた、全7勝中5勝を京都競馬場であげていて、地方ではあまり勝ててはいません。
地方で人気になって負け、中央で人気を落として勝つ、穴馬党にはたまらないお馬でした。
でも、彼女は人気だけのお馬ではありません。
天皇賞(春秋)と宝塚記念に3回出走しており、ジャパンカップ、有馬記念にも出走しています。
1985年、シンボリルドルフと一緒に走った有馬記念を最後に、シラギクはターフに別れを告げました。
母と云う第2の馬生を過ごしていた1999年、20歳を迎えたシラギクは、全場を駆け巡った想い出を抱いて、天の国へ最後の旅に出ていきました。
シラギクはファンにも愛されましたが、何より馬主さんに愛されたお馬だと思います。
何故なら、シラギクの仔供達はすべて同じ馬主さんです。
そして、シラギクのお墓は他のお馬さんの墓碑よりも立派で大きなものでした。
白菊の花言葉・・・・・・・・・誠実、真実、高貴
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馬の気持ちさんがいいね!と言っています。
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エドリンさん
マカさん、ペアポッチとコメントありがとで〜す。
華やかさはないけれど、ひたむきにコツコツ走る姿は胸を打つものがありました。
願わくば、彼女を超える仔供がほしかったけど、娘たちが細々血を繋げていってくれているようです。
いつの日か、母の母、その母や、父母、その母などで白菊の名が出てくるような活躍をするお馬が現れるかも知れません。 -
エドリンさん
でぃらろーしぇさん、いいね!とコメントありがとうございます。
本当に立派なお墓でした。
小さな体で牡馬に混じって必死に走る姿が、きっと馬主さんにとって自慢の孝行娘だったのだと思います。 -
エドリンさん
SAKU☆39☆さん、こんにちは。
小柄だけど丈夫だったのでしょうね。
馬運車での移動だけで、弱い仔は熱を出したりします。
出来たらもう少し長生きしてほしかったと思います。 -
マカさんがファイト!と言っています。
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マカさんがいいね!と言っています。
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マカさん
こんにちは(^ ^)
ヤマノシラギクは仕事仲間がウイニングポストって言うテレビゲームやっててその中で登場していたので気になってしらべたことありましたが、とっても愛された馬生だったんですね♪
エドリンさんの好みのお嬢様に違い無いし、私もきっとファンだったろうなあ。。。
今日も素敵な日記をありがとうございます♪ -
でぃらろーしぇさん
朝からジーンときました。立派な愛情あふれる墓碑ですね。切ない話も多い中、心が温かくなりました。
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でぃらろーしぇさんがいいね!と言っています。
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SAKU☆39☆さん
俺もまだその頃子供だったので
記憶にはあんまりないけど
本で読んだ事があります。
イクノディクタスみたいに丈夫な馬ですね。