351件のひとこと日記があります。
2015/04/14 11:44
時代が2000年に変わった最初の皐月
時代が2000年に変わった最初の皐月賞。
1着のエアシャカールよりも、2着のダイタクリーバよりも、3着に入ったチタニックオーが誇らしかった。
祖父ルドルフからの約束の続き (もちろん勝手にそう思ってるだけ 笑)「貴方の仔供や孫たちは無条件で応援する」 というもの。
だから、チタニックオーがテイオー産駒として初めて皐月賞に出走してきた時、飛び上るほど嬉しかった。
最後に突っ込んできた脚を見て、ダービーならと夢まで見させてくれた。
そのダービーには出走することすら叶わなかった。
でも、無事で元気に走っていてくれたらそれで良いと願っていた。
いつのまにか消える事なんて良くあること。
そう思って諦めていた。
何気に買ったハルウララの本。
そこにチタが生きている事を知った時、会った事も無い馬の為にでもこんなに泣けるという事を経験した。
脚元の弱かったチタは、高知競馬に移籍してたった2回走って勝って、力尽きた。
そして最後の住処となる「黒潮牧場」での、きっとトネッコ以来の穏やかな幸せな日々を過ごして
もう満足したよとでも云うように2007年8月旅立ってしまった。
また泣いた。
ついに会えないまま、今度は本当の別れになってしまったと。
でも、チタのおかげで黒潮の牧場長さんとお知り合いになれた。
この写真も牧場長さんが送ってくれたもの。
そして「チームテイオー」のMさんがチタのイラストを描いてくれた。
毎年、皐月賞が近づくにつれて、チタを思い出してる。
私の中で、皐月賞3着馬チタニックオーは今も生きてる。
-
コータローさんがいいね!と言っています。
-
エドリンさん
おいコアラさん、いいね!ありがとうございます。
-
エドリンさん
馬のきもちさん、コメント有り難うございます。
ルドルフから、競馬だけではない馬と云う生き物の魅力を教わり、息子テイオーから、馬が人の生きがいにもなるといいうことを体験させられた私としては、チタニックの存在は大きかったです。
早世ではありましたが、幸せな馬生だったと思っています。 -
おいコアラさんがいいね!と言っています。
-
馬のきもちさん
こんばんは♪
素敵な思い入れのあるお馬さんですね!
えどりんさんの心の中にずーっと生き続けるのでしょうね。
最後に安らぎの日々を過ごすことができてほんとうに良かったです☆☆ -
エドリンさん
らすかるさん、いいね!とコメント有り難うございます。
脚元さえ丈夫だったらもっと活躍できたと思います。
でも、黒潮さんで安らぎの日々を過ごし、みんなに見守られながら旅たてた事は、きっと幸せだったのでしょう。
テイオー産駒で唯一、クラシックの掲示板に乗った仔です。
自慢の息子です。
やっぱり高知に行かなきゃ!(笑)。 -
らすかるすずかさん
こんばんは。
チタニックオーは、とてもかわいい仔でした。
テイオーの仔というだけでなく、純粋にこの馬が好きでした。
だから、もう少し長生きして欲しかったけど、黒潮さんにいられたのが一番幸せだったと思います。
馬との縁、どこでつながるかわからないものですね。 -
らすかるすずかさんがいいね!と言っています。
-
エドリンさん
ルージュの夢さん、いいね!&コメントありがとうでっす。
何か黒潮さんとは縁があるのかもですね。
ルージュがチタと縁が切れない様にしてくれているように思います。
チタはきっと喜んでくれると思います。
牧場長さんが、「穏やかですごく良い仔だった。今でも近くにいるようだ」って言ってくれたから。
チタの姪ッコも脚元が弱いのかなぁ。
早く回復してくれますように。 -
エドリンさん
ディランバグさん、コメント有り難うございます。
チタが生きている事を知った時は、嬉しくて舞い上がって、その本をお書きになった作家さんにまでお礼の手紙を出してしまいました。
そのお返事の手紙は私の宝物です。
エアも早世してしまい、リーバだけが頑張ってくれています。
今年はリーバにまた、ご機嫌伺いに行きたいなと思っています。
オツウのアップ、楽しみにしています。
よろしくで〜〜す。